#250620 禍福は糾える縄の如し、の捉え方
暑い大阪です。
禍福は糾える縄の如し、という言葉で
ふと思ったこと。
わたしたちが
なかなか幸せになれない、
生きる喜びを感じられない、ことのほとんどは
不自由な考え方と真実の歴史を知らないからだと思うけれど、
その一つに
禍福は糾える縄の如し もあるなぁ、と思いました。
わざわいもめでたいことも
交互にやってくる、と思うから
不幸なときに
そこまで落ち込まないでいられることもあるかもしれない。
けれど、逆にしあわせなときにも
不安が忍び込んでいたりするんではないか?
勝手にしあわせは長くは続かない!?と
喜びきれない感じがあって、
そのエネルギーが不幸(と呼べるもの)を
招いてしまったりするとか、
あるのではないかな~。
真実としては
禍福はオセロのようなもので、
置く人によって、意識によって、
白にも黒にも変えられる。
すでに置いてある
黒石も白石も、
勝手にはひっくり返らないけれど、
自分で黒を白に、
白を黒に、
変えることはできる。
その力をみんな持っている。と
ふと思ったのでした。
明日は夏至。
もう2025年も半分に近い。
あまりの早さに、
夢を見ているような氣もちです。
では、あれやこれやと言いたいけれど、
水着のゼッケンを縫い付けます。
では、また。
このブログへのコメントはmuragonユーザー限定です。